つぶやき。

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なんだかいっぱいいっぱいになって「いい絵を描く!」みたいな勢いのツイートをしてしまった。ちょっと後悔しているけど嘘はついていないので消さないでおく。

 

いい絵を描けば全て良くなると漠然と思っている。それはお金が稼げてそれで生活が出来るとかそういう意味ではなくて。(お金は本当に本当に大切。でも全てではない。全てではないと言わなければならない。)踊りたいし歌いたいけど私はそんな事出来ない。だから絵を描く。いい絵を描く人になろう。寝ます。

 

絵を描く事を楽しいと感じる事はあまりないと前の記事で書いた。

ふと思った。楽しくないのになぜ描いているのか。もちろん嫌いではない。でも画面に筆を滑らせる行為自体へのワクワク感みたいなものは多分感じた事がない。それとも絵を描くのが好きと言っている人みんなこんなものなのだろうか。

考えている事が形になるなら手段はなんでもいいと思っている。私は上手く文章を書けないけれど、きっと書けるのであれば文章でもいい。音楽でも、踊りでも、何だっていいはず。

私の手段が絵であっただけ。できる事が絵だっただけ。

 

絵を描く理由ではないけれど、絵を描いている自分だけは好きでいられる気がする。しょうもない面白くないと言われることも沢山ある。けれど仮にどれだけ褒められたとしても、どれだけ時間をかけて作ったものだったとしても、納得のいかないものを絵の具で潰してもう一度一から向き合える人間で自分がある事だけは信用している。本当の美しさを考えていると信用している。というか多分自分にその信頼がない人は創作なんかしない方がいいんだ。

 

私はけして善人ではないけれど、自分の中に良心がある事を知っている。それを手がかりに絵を描いていると思う。愚痴や不満や悲しみだけで終わるものを絵にする意味はなくて、どれだけ重くて厳しいものであっても前進があるものを描きたい。明るい絵とか、楽しい絵じゃなくて。現状を判断して先を描き出す事は悲しみや苦しさだけを描く事より厳しいけれど、私はそれができるようになりたい。

 

早く来年になればいいのに。

来年になれば、今描いている大きな作品を展示できる。今は多分その為に生きている。

と思う。

 

 

。。。。。。

 

関係ないけど12月と来年3月の個展について案内的な文章が書きたいな。ふたつの展示は繋がっているけれどそれぞれ役割が違う。のでできればどっちも来て欲しい。

12月は少し実験的な展示になる。

3月の方はトークショーもするし100号以上の大作が2点もある。 

またゆっくり書こう。

 

 

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昨日は久しぶりに途中の大作に向き合った。

美しい色が出たとしても、その上からまた色を重ねる。サイズが大きくなればなるほどそれを繰り返さなければならない。私にとっての描くという事はそういう事。

作品を書いている時に楽しいとか、思った事はあまりないなぁと気がついた。私は元々小さい頃も絵を描く事が一番に好きな事ではなかった。嫌いでもなかったけれど。上手くなくても、歌ったり踊ったりする方が楽しかった。でも、今はなんか絵を描きたい。何でかわからないけど。私はこの頃これからずっと絵を描いていたいと思うようになった。

 

学校で大作を描いてる時ふと周囲を見渡した。自分と同じかそれ以上の大きな画面に向き合う同世代の人達がいた。この絵はこれからどうなるのだろう、と思った。一筆一筆こんなにも大切に描かれた、私も含めた無名の学生達の作品はどこへ流れ着くんだろう。全ての作品が残るわけじゃない。100年後どころか10年後もわからない。なんせ本当に馬鹿でかい為置く場所がなく結構パネルから紙を外して丸めたり、下手すると処分したりする人がいる。あと学校にほっておいたまま卒業すると他の人が絵の上に絵を描いちゃったり。(個人的にそれはそれであり。)

 

小さな作品は、貰ってくれた人の元で役目を終えてくれたら一番嬉しいなと思う。作家としては後の世に残す事を考えなければいけないのかもしれないけれど。いつかその人がいなくなってしまう時、作品も一緒になくなって構わない。けれど大きな作品は、どうなってしまうんだろう。悲しいとか不安とかではなくて、目の前の大きな画面が不思議でたまらなくなる。どうなってしまうかもわからない作品に、とりあえず今日も仕上げに行く。

 

雑記

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色んな人のブログを読むのが中学生の時からずっと好き。前も書いたけど。

親しい人、気になる人、尊敬してる人、ブログだとみんな妙に真面目だったりして面白い。斯く言う私もなんだけど。なんとなくTwitterが流行り出した時期あたり(私が中3くらいだったころかな)からブログをする人が減った気がして悲しい。

一応私がブログに書いてる事は私の作品を好きだと言ってくれる人に向けて書いているつもり。だからTwitterで更新情報は流していない。気になる人が読んでくれたら十分だと思っている。一応ホームページにリンクは載せているし読みたい人は見つけてくれているのだと思う。なので見つけて読んでくれている方、本当にありがとうございます。適当な事を書くこともあるけれど(前の適当なbarレポートとか)基本的には一応作家として口に出したい事を書いているつもりです

ちなみに今日のブログタイトルは普段お世話になってる人がいつも使ってるブログタイトルを真似してみた。(普段ブログタイトル思いつかなくてめちゃめちゃ適当につけているのでこの言葉便利やな・・・と思ったり。)

 

そしてなぜこんな事を書いているかというと、どうもここ数日制作に気が入らなくて困っているから。なかなか手が動かない。更新したら頑張ろう。

 

 

ビミョーに長いかも。(自分比)

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一ヶ月に1回くらいの頻度でブログの閲覧数が通常の5倍くらいに跳ね上がる日がある。

何が起こっているのでしょう。ほんとわからん。

 

 

気になる展示数件を見に東京へ行ってきた。

深夜バスに友人と乗り、東京で各々別の目的がある為解散。

(軽い感想を書きますが検索除けの為に固有名詞をボカして書きます。)

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テーマは彼の妻。

作者が妻と出会い、妻が亡くなるまでに撮られた作品の数々が展示されている。

正直写真の技術的な知識は皆無なので完全に感覚だけで見ていた。

 「私写真」という言葉通り作品に写るものは全て作者の個人的なものばかりなのに、自分自身の記憶が呼び起こされるようだった。

近しくなればなるほど人は他人を他人ではないと錯覚してしまうと思うのだけれど、写真に写る彼女はどこまでも他者的な感じがしてとても良かった。上手く言えないけれど本当に愛していたのだとわかる。愛すれば愛するほどにその対象の掌握できなさというか、距離のようなもの、どこまでも他人である事を感じるのだと思う。そんな感じがした。個人的には顔だけが写ったポートレートのような作品と空の写真へのペイント作品が好きだった。

最後まで見た後入口に戻りもう一周したけれど、二回目は完全に関係のない自分の作品の事を考えながら見ていた。別に何を参考にしたいとか影響されたとかもなく。写真に写る彼女を他者的だと思ったのは、もしかしたら私が人物を描く上でこの頃頭に浮かんだキーワードが「他人」だったからかもしれない。

 

 一緒に東京に行った友人に色々と考える事を手伝ってもらった。主に作品に対することなど。私は1人で考えるより誰かと話しながら言葉を出していく方が良いらしく、考える事に行き詰まったら人の力を借りてみようと思う事が多くなった。

作品にする上で自分の中から出たものしか形にしてはいけないんじゃないかとどこかで思っていたけど、そもそも自分の中から出たと思っている事も当たり前に全てどこかしらからの影響でしかない訳でそんなしょうもない所で止まらなくてもいいやと思った。幸いここ数ヶ月で私と一緒に考えてくれる何人かに出会えている。「こうなのでこうすべきだ」という結論を描くことはできなくて、「自分にはこういう状況が見えた」みたいな事までしか描けない。

前の記事で相反する事云々みたいな事を書いたけど、本当にその通りで。バランスを取るってめちゃくちゃ使い勝手の良い言葉なのでいろんな所で使われていると思うけど、最終それしか方法はやっぱりないんだなと気付く。自分が心地よい落とし所に落とすしかないし、それをやりつつこれが最善を探す事を忘れてはいけないみたいな。この頃自分は何を言ってるだろう。それが難しいから皆苦労しているのに。同じ事を繰り返し書き続けている気がする。(記事をあまり読み返さないからわからない。あとメモ代わりに書いているのだけれど疲れでヘロヘロになっていてつらい。)

 

いつも東京に来るときは展示の搬入搬出の為であったり自身が参加するイベントの為であったりするのだけれど、こうして見たいものをただ見に来る機会をもっと増やせたらいいと思う。今回は写真集と作者の愛猫のシールセット(とてもかわいい)を購入した。その流れで全然関係ない二年ほど前に見たモネ展の図録を買わなかった事をとても後悔したのを思い出し、ネットで検索してたまたま見つかったのでそれも購入した。

 

 

 

↓この下相当どうでもいい適当バーれぽ。

展示鑑賞後友人と合流して映画のイメージカクテルを作ってくれるバーへ行った。

羊達の/沈黙

これ飲むのが夜のメインイベントだったのでバスに乗る前二人でDVDで復習とかをして楽しかった。

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パンズ/ラビリンス

ぶどうを食べたらだめなやつ。

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なんか忘れたけど友人が頼んだやつ。(鬱映画らしい)

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友人が頼んだバトル/シップ

グレープフルーツのシップ感。

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オペラ座/の怪人

一番好きな味だった。

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レミゼ

盗んじゃ駄目よと言われた。(銀的な意味で)

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人が死んだりするほどアルコールが高くなるらしく、野火って言ったらやめとけと言われたので冷たい熱帯魚と沈黙を言うのをやめた。だれか野火を頼んでみてください。

 あと横のお客さんがセッションを頼んだ時バーテンさん3人がセッションしていた。そこは2人じゃないんかいと思ったけどセッションだった。雑めにスティック(に見立てたクッキー的なもの)が二本刺さっていた。楽しい。 

 

 

 

 

 

 

 

。。。。。。

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 家を出てぼんやり電車に乗っている。

気分が落ち込んでいて出来れば何もしたくなかったけれど、最近上手く行かない作品達に何故か勇気づけられて(意味わかんないけど)外へ出た。

家の壁にこれから出す作品や過去の作品でまだ手元にあるものをかけまくっている。

私は自分の作品に対して 好きとか嫌いとかがあまりないけれど(愛情みたいなものはあるかも)、なんやかんや自分の描いたものに慰められたりする。作品の内容によってというより描いた過去の自分に助けられている感がある。

絵を描くというのは一種の箱庭療法みたいなものかもねと、この頃お話した方が言っていた。

なるほど確かにそういう部分はある気がする。でも出来るなら、それを超えてなにか描けたら良いのにと思う。

 

最近は自分の中の矛盾を外に出せたらいいなぁと思うようになってきた。作品で矛盾自体を描くというわけではなく、作品と相反する事をしてもいいんじゃないかと思うようになった。

日本の明るい未来を謳いながら未来に対する警鐘を鳴らし続けた小説家や、安全の為の仕事をしながら死を描き続けている芸術家。そういう人達がとても気になるようになってきた。周囲にも何かをどうにかしようと作品を作る一方で正直どうでもいいと思っているのだろうという人がいたり、自分にもそういう心当たりがある。文章を書くのが下手なので上手く言えないけれど、感情のだけの話ではなくて。どっちが本当とかはなくて、多分どっちも本当。多分そういう相反するものを持っている事に自覚的に作品を作る事は何かに繋がっていくんじゃないかと根拠はないけど思う。

 

そういえば、お前達の世代の作品からはまだ何も時代が読み取れないみたいな事を言われた。作者の生きている時代が創作物に反映されるなんていうのは多分当たり前の話で、個人的にはそれはこれからなんじゃないかなーとは思いつつふーんと聞いていた。

そういうのは結果として現れるものだと思うので別にわざわざ意識する必要はそんなに無いかなと思うけれど、鑑賞者として周囲の同世代が何を創っていくのか単純に知りたい好奇心は凄くあったりする。自分の生きてる場所を客観的に見てみたいのであれば芸術なりその他なりを鏡にして見るしかないと思うし。

ゆとり世代やら悟り世代やら言われる事もあるけれど、わたしにはゆとりも無ければ悟りも無いし(悟りたいとは思う)なんかそういう言葉自体に正直あまり興味が無い。

 

なんか電車の中で眠たい頭のままぼんやり打ち込んでいるのであとで読み返して消すかもしれない。(あと文章を書く練習がしたい。)

 

今後。

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http://shoujiriko.tumblr.com/

 

↑タンブラー にて今後三月までの展示予定を更新しました。

やばいなー、めっちゃ描かなきゃ。

初個展から3ヶ月後にまた個展ですからね、気合入れます。どっちも。

 

今個展にむけて考えていることは夢や理想について。当たり前だけれど全ての夢が叶えられる事の無い世界でどう希望を見つけられるか。

何かを手放して身が削られるような苦しみの先に何があるのか。

悲しみについて。自分の悲しさだけでなく、そもそも世界は悲しいのだということ。