うんめいみたいに。

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「スバル」「ももとせ」

小さな詩とドローイングを一作ずつ収録した本です。

表紙とドローイングは原画。詩は手書きです。

 

中身は購入時には見れないようになっています。

中身はネット等で公開しません。

自分自身でも写真などのデータは保管していません。

運命みたいに、望んでくれた人のもとに行ってほしいと思って作りました。

画集のように大量に作ることはできないし、一つ一つ手作りなので少し値段も高くなってしまうし、あまり効率の良いものではありませんが、効率が悪いこういうことをこれからも大切に続けていきたいと思っています。

ももとせ」は欲しいと言ってくださったとてもお世話になっている方のもとへお嫁に行きました。本当に感謝です。

 

「スバル」はまだ手元にあります。通販サイトでの通販はしません。

ただ、このブログを見て、欲しいなと思って下さる方がもしいたら下記から連絡をいただければと思います。お値段は3500円です。ゆうちょ振り込みにて対応させていただきます。質問なども受け付けます。

 

ririririhb@yhaoo.co.jp

 

Twitterを見てもらえるのももちろんとても嬉しい事ですが、ブログを見てもらえることが個人的に一番嬉しいです。

自分自身が中学生や高校生だった頃、好きな人達のブログの更新を何より楽しみにしていたからかもしれません。ブログを開いては更新を確認する毎日でした。

その時見ていた大半のブログは今は閉鎖されてしまっているのですが、印象的な記事などはまだ頭に残っています。

もう一度読みたいなあ。

 

    【追記】

「スバル」お迎えしていただく事になりました。本当にありがとうございました。感謝です。

 

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世界の何かを一人の人間の意思で変える事など絶対に出来ない。

けれど何かが変わることを信じないで絵なんか描けるわけが無い。とも思う。

 

物や時間や場所や人、何一つ例外なくいつか全て無くなるということについて、人と話していました。普段はわかっていても実感として身に迫ってくるような事はありませんが、自転車を漕いだり買い物したり、そういう何気ない瞬間に突然恐ろしくなったりします。

 

いつか全て無くなるけど、それを全部わかった上で幸せを願って絵が描きたい。

というか、それを踏まえていない幸せを願う気持ちってめちゃくちゃ弱いと思う。

 

多分何を表現するにも矛盾したもう一方の事実を理解している必要がある。裏と表は1つなのだと、知っている必要がある。

 

おおきいもの。

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苦しみとか、悲しみとか、私の個人的な感情を絵にしようとはあまり思っていない。もちろん私が描く限り無意識にそれが画面に出る事はあると思うけれど、「結果そうなった」という事以外でそれは自分の中にあればいい、と思っている。個人的にそういうものと向き合うのは絵にするより親しい人と会話したり本やアニメを見る方が方がよい。

 

私はいつか大きいものを描きたいと思っている。

世界とか命とか、私の手の内に収まらないようなもの。

 

自分自身の事で精一杯なお前がそんな事をして何になるんだと言われるかもしれないけれど、自分の手の内に収まらない大きなものと向き合う事は結果自分に向き合う事と繋がっているような気がする。

 

うまく言えないけれど、考えてもどうにもならない世界や命について考える事が今の時代において人を人たらしめてくれる事なのではないかな。明日のご飯の事、住む場所の事、着るものの事、と同じくらい。

 

私は世界について考えている人がとても好き。そして、気がつけば私の周りにはそんな人ばかりになっていた。そんな人に沢山出会えた今は、本当に大好き。

 

まだまだ自分の居場所とか、自分の仕事(金銭を得る仕事という意味に限定しない)とか、見つけられないまんまだけれど、どうにか描き続けていきたい。

 

 

はこ!

大好きなプリンセスチュチュのBlu-rayBOXが発売決定したようです。(ついさっき知りました。)

一件前の記事でるうちゃんのイラストを載せたばかりなのですが、今回の記事に取っておけばよかった〜!BOX発売の予定がある事は知っていましたがまさか今来ると思わなかったので。

ということでもう一度載せちゃいます。

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せっかくなので布教記事(?)を書きます。

ゆるいネタバレがあるかもです。

 

プリンセスチュチュは一見よくある学園を舞台にした変身少女もの子供向けアニメなのですが、ちゃんと見ていると少し複雑な構造になっているんですよね。

主人公達の世界には「王子と鴉」という童話が存在しており、その童話の登場人物の立ち位置や役割は主人公やその周辺の登場人物達とリンクしています。さらにその主人公達が存在する世界を「王子と鴉」の作者であるドロッセルマイヤーというキャラクターが俯瞰して見ている。二重でメタっぽい構造になっているんです。

この構造は物語の核の一つである「物語の中の自分と現実の自分」つまり「理想の自分と本当の自分」というテーマを表現する上でこれ以上なく優秀な装置となっています。  

 

クラシックバレエをテーマにしていて物語のあらゆるシーンでクラシックバレエの楽曲が使用されているのですが、時には物語と楽曲の内容がリンクし合い楽曲への知識がある事を前提に作られているような場面もあったり。(なくても普通に楽しめますが知っていると面白さが段違い)

 

「可愛く少しクラシカルな女児向けアニメ」と「人が理想や物語を描く上で避けては通れない問題という思いテーマ」を同時に表現する。

これをあくまで子供向けにやりきる凄さ、半端じゃないです…。

ダークな変身少女ものでいうと、まどマギあたりがすぐ思い浮かぶと思うんですがあれは深夜アニメであくまで大人向けなんですよね。(私は普通にまどマギ好きです。)

 実際私は子供の頃上記の事など一切考えずフワフワ可愛く少しダークな世界観を楽しんでいました。よく良い作品は鑑賞者の成熟度合いによって姿を変えると言いますが、プリンセスチュチュもそういう作品なのだと思います。

 

(個人的な感想。以下ガッツリネタバレ。)

 

 

主人公のあひるは鳥のアヒルです。

あひるは人間の女の子になる事を夢見ており、ドロッセルマイヤーの力を借りてプリンセスチュチュになります。

 

ただラスト2話、あひるはプリンセスチュチュになりません。本当の自分のままで物語と立ち向かいます。

そしてそんなあひるに、王子様が跪くシーンがあります。

ただの鳥のアヒルに、王子様が。

プリンセスチュチュにはありとあらゆるシーンで泣かされましたが、ここが一番泣いたかもしれません。

本当の自分のままでも、気高く、誇り高く、美しく在る事は可能なのだという肯定のシーンだと感じました。

 

もちろん理想の自分になれるに越した事はないですし、理想を捨てるべきだとは思いません。ただ、理想を思い描く事と自分を肯定する事はきっと両立出来るんですよね。(自分が出来ているのかと問われれば出来てるとは言えませんが。)

誰もが大切なものを失ったり犠牲にしたりした経験があると思いますが、ラストに進むに連れてそういうものを乗り越えさせてくれる一つの答えを与えてもらえる感があります。

 

なんか何を言っても私の言葉ではプリンセスチュチュの良さを表現出来ないのがもどかしい…。

興味のある方は是非〜。

 

 

 

 

 

 

 

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私の中で「周囲の人に支えられる」というのは、行為によって助けてもらう事ではなく周囲の人各々が自身の人生を生きる姿に支えられる…という意味合いが強い。

筆を握る姿、働く姿、考える姿が、落としそうになった筆を私に握らせてくれる時がある。

 

普通の人間が行為で人に報いるは難しい事だと思う。何かを他人に与えるというのはとても大変な事。私はそれを絵でしたいと思っているけれど。

 

ただ、私が私の問題に向き合う姿勢が誰かを救う事も、もしかしたらあるのかもしれない。気のせいかもしれないけれど、信じるのはそんなに悪くない。

 

数件前のブログ記事にこの記事と比べてやたらマイナスな事を書いているなぁとぼんやり読み返していた。

この頃は前向きになったとかではなく、並行して存在し続ける部分みたいものだと思う。

誰しもそんなものだと思うけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔は強さに憧れていたけれど、強さは時に何かを置き去りにする事がある。

だからこそ魅力的で美しいのだろうけれど、今私は弱い私のままで良い表現をする方法を探している。

美しさや気高さはもう自分の手には入らないと知ってしまったけれど、前に進めたらいいと思う。

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制作日記開始

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これまでTwitterで呟きにくいぼやきのようなものばかりをブログに乗せていましたが、今日からここを公開制作日記のようなものにしようと思います。

理由はいくつかありますが、大きくは「活動をする上で自分のスタンスのようなものを示していく必要があると思ったから」と「しらばっくれない為の自戒」です。

少し説明し辛いですが、作品の内容だけではなくある程度その背後のものを発信していかなければならないと感じました。Twitterなどにリンクを載せてはいないので見る人は限られてくると思いますが、とりあえず今は少しでも私や私の作品に興味を持ってくれた方に見ていただければ良いです。本名で活動している事と同じで、自分の描いたものに背を向けないようにおおっぴらではなくとも人から見える場所にできるだけ自分の中の本当に近い言葉を置いていきます。少なくとも個展までは定期的に更新できれば・・・・と考えています。制作日記と銘打ちましたが他にも書こうと思ったことをできるだけ文字にしていきます。

 

とりあえず上の写真は今制作している大作です。変形ですが横幅は150号(227×181)より大きい筈。縦は150号より小さいでですが。まだ正式に発表していませんが、来年の個展で展示します。(別に秘密ではないので口ではいろんな人に言っている為ここにも書くのですが、もしこの記事を見た方がいたら一応ツイートとかは避けていただけるとありがたいです。)

自分の体より大きな画面に向き合うのは精神的にも体力的にも消耗するのですが、一番今の自分に副った筆を運べる気がします。小さな作品を描く時には味わえない没入感のようなものがあり、これは絶対に大切なものなのでできれば学校を卒業した後も大きな作品を描ける環境を手に入れたいです。私の場合、小さな作品だと筆が乗らない時どうしても悪い意味で作業的になってしまう部分があるのですが、大きい作品を長期スパンで制作しつつ小さい作品に手を制作しているとそれが緩和される気がします。学校の後輩の女の子が「絵を描くのは滝修行っぽい」みたいなことを言っていて、個人的に少し共感しました。昔読んだ本で瞑想が船を漕ぐことに例えられていたのですが、制作も船を漕ぐようなものなのかもしれません。

 

これまでも展示活動は行っていましたが、個展が本当のスタートだと思っています。安直な事を言うと、自分を信じるしかないという事にやっと気が付きました。

良い展示にします。命にかけて。命をかけるなんて大層な言葉だけれど。嘘じゃないです。私は弱い人間だけれど、絵でご飯を食べている人間じゃないけれど、遊びで表現をしている訳ではありません。

来年の春、大阪にて。是非来てください。