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 家を出てぼんやり電車に乗っている。

気分が落ち込んでいて出来れば何もしたくなかったけれど、最近上手く行かない作品達に何故か勇気づけられて(意味わかんないけど)外へ出た。

家の壁にこれから出す作品や過去の作品でまだ手元にあるものをかけまくっている。

私は自分の作品に対して 好きとか嫌いとかがあまりないけれど(愛情みたいなものはあるかも)、なんやかんや自分の描いたものに慰められたりする。作品の内容によってというより描いた過去の自分に助けられている感がある。

絵を描くというのは一種の箱庭療法みたいなものかもねと、この頃お話した方が言っていた。

なるほど確かにそういう部分はある気がする。でも出来るなら、それを超えてなにか描けたら良いのにと思う。

 

最近は自分の中の矛盾を外に出せたらいいなぁと思うようになってきた。作品で矛盾自体を描くというわけではなく、作品と相反する事をしてもいいんじゃないかと思うようになった。

日本の明るい未来を謳いながら未来に対する警鐘を鳴らし続けた小説家や、安全の為の仕事をしながら死を描き続けている芸術家。そういう人達がとても気になるようになってきた。周囲にも何かをどうにかしようと作品を作る一方で正直どうでもいいと思っているのだろうという人がいたり、自分にもそういう心当たりがある。文章を書くのが下手なので上手く言えないけれど、感情のだけの話ではなくて。どっちが本当とかはなくて、多分どっちも本当。多分そういう相反するものを持っている事に自覚的に作品を作る事は何かに繋がっていくんじゃないかと根拠はないけど思う。

 

そういえば、お前達の世代の作品からはまだ何も時代が読み取れないみたいな事を言われた。作者の生きている時代が創作物に反映されるなんていうのは多分当たり前の話で、個人的にはそれはこれからなんじゃないかなーとは思いつつふーんと聞いていた。

そういうのは結果として現れるものだと思うので別にわざわざ意識する必要はそんなに無いかなと思うけれど、鑑賞者として周囲の同世代が何を創っていくのか単純に知りたい好奇心は凄くあったりする。自分の生きてる場所を客観的に見てみたいのであれば芸術なりその他なりを鏡にして見るしかないと思うし。

ゆとり世代やら悟り世代やら言われる事もあるけれど、わたしにはゆとりも無ければ悟りも無いし(悟りたいとは思う)なんかそういう言葉自体に正直あまり興味が無い。

 

なんか電車の中で眠たい頭のままぼんやり打ち込んでいるのであとで読み返して消すかもしれない。(あと文章を書く練習がしたい。)